アナザースカイ|青木定治のパリ物語!2015年1月23日 チョコレートGETはお早めに!! 

先日放送のアナザースカイでは、片岡鶴太郎さんがパリを訪れ、パティシエの青木定治さんとお会いしていました。

 エピソードはこちら→ 片岡鶴太郎パリで青木定治氏との再会

 お店・施設情報は → 片岡鶴太郎さんがパリで行ったレストランなどお店情報 

青木定治さんは、昨年の今頃放送のアナザースカイ「青木定治のパリ物語!」にも出演しています!

今回は、昨年の青木定治さんのアナザースカイを振り返ってみたいと思います。

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 ミルフィーユで決まる?パティシエの力量

出典 TripAdvisor

「ケーキ屋としてこれが美味しくないとケーキ屋と名乗っちゃいけない。」

冒頭でそう青木さんがおっしゃっていたのが「ミルフィーユ」です。食べてみたい!

青木定治さんのお店は「 Pâtisserie Sadaharu AOKI paris」。

本店はパリ。日本国内にも6店舗あります。都内に4店舗・名古屋・福岡です。

パリ店の様子はこちらからもどうぞ! → Sadaharu AOKI paris (トリップアドバイザー)

日本のお店でもチョコレートをはじめ、ケーキ・マカロン・エクレアなどもあります♪

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バレンタインの季節には、大手デパートの特設会場でもチョコレートを購入可。

このカラフルなボンボンショコラ。一度見たら忘れられない!

抹茶をはじめ「ゆず」「わさび」など、日本を感じさせてくれる食材がチョコレートになっています。一体どんな味わいなのでしょうか・・。

アナザースカイでは、今田耕司さんがチョコレートを味わいながら

「おシャンパンに合うのわかるわ~!!」

と感動していました。チョコ×シャンパンのマリアージュ。なんておしゃれなんでしょう!

 パティシエとして世界で数々の賞を受賞

「サロンドショコラ」という世界のチョコレートの祭典で3年連続5つ星&4度の最高賞を受賞。日本でも、農林水産省による料理人顕彰制度で料理マスターズに選出されています。

今年48歳になる彼は、現在世界トップクラスのパティシエとしての地位を築いています。

渡仏25年。今でこそゆずやわさびなど日本の食材を自由に操る青木さんですが、

当時抹茶のスイーツを考案した際には周囲から厳しい声も。

「抹茶はお茶として楽しむものであって、お菓子に混ぜ込むものじゃない。」

「いくら海外だといってもそれはルール違反だぞ!!」

など、批判の声もあったそう。

「特に和菓子業界の人には怒られたね~!」

あっけらかんと話す青木さん。本当は相当な苦労があったのではないでしょうか。

今では当たり前のようにある抹茶トリュフや抹茶プリン・・彼の情熱のおかげで、抹茶スイーツが誕生したんですね!

SADAHARUありがとう!!!

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 オートバイクのレーサーからパティシエに転向

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なんと、青木さんは14歳の頃からプロのモトクロスレーサーとなるべく、活動をしていたそうです!!

しかし、腰を悪くしてバイクレーサーの夢を断念。

その時、食関連の仕事をされていたおば様に

「これからは食べものの時代がきっと来るから、食に関する仕事をしてみたら。」

と言われたことがパティシエを目指すきっかけになったとのこと。

ピエール・エルメと対等に仕事ができるまでやってみたい。

そう目標を掲げて、アルバイトで資金をためてパリに渡り修行を積むことに。

住む所も、仕事もない。ビザの申請に行っても何日も音沙汰もない・・。

普通なら途方に暮れるところですが、青木さんの成功思考がここにありました。

「こんな状況から成功したらすごいことになるだろうな!この想いを爆発させるしかない!」

とはいえ、言葉もできない・お菓子についての技術もないということで、パリの有名店で修行するも半年も経たないうちに追い出されてしまったそうです。

「すごく楽しかったですね。ドМなんですね(笑)」

「厳しいのが大好き。壁がないと登る気になれない。」

それでも夢をあきらめない青木さんのところに、チャンスが巡ってきます。

なんと、アパートで焼いていたお菓子が評判を呼んで(!)そこから注目を浴びるようになり、1989年サッカーワールドカップでシラク大統領のVIPルームを任されることに。

それをステップに、2001年パリに1号店を持つことになったそうです。

 日本の食材を使ったフランス菓子

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そんなある日、お店の常連になってくれたおじいちゃんのひとことから、あらたな道が開けます。

「私はもう歳だし日本には行けないから、日本の味を紹介してよ!」

そこから、抹茶を取り入れるお菓子作りが始まったということでした。

抹茶を洋菓子に使うことで受けた様々な批判。それを受けても決して曲げない情熱は、こういった声に応えたいという青木さんの優しさから来ていたのかもしれませんね。

そして、パティシエとして活躍している青木定治さんのもとに、かつて修行から追い出されたお店の息子さんから連絡があったそうです。

「君は昔うちにいたことがあるそうだね!私は店を継がないから、君がやってくれないか。ジャンミエの名前をつかってもいいし、自分の店として使ってくれてもいいから。気楽に考えて。」

彼が修行した場所とは「ジャン・ミエ」。ジャン・ミエさんはMOF(フランス国家最優秀職人)に認定されたすごい方らしいです。そしてそのお店はパティシエの聖地のようなところなのだとか。

青木さんには「一度自分を追い出したところだから・・」なんていう考えはまるでなく

「ここまで自分を育ててくれたパリに恩返しができたら嬉しい。」

と、自分の持ち味である日本の食材を表に出すのではなく、ジャンミエさんのレシピをもとにしたフランス菓子を中心としたお店をつくることにしたんだそうです。

そして2015年1月青木定治氏に託されたお店は再び「ジャン・ミエ」としてオープンしました。

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出典 TripAdvisor

最後に、青木定治さんにとってパリとは「勝負していない人が存在出来ない街」だそうです。

「コピーしたものは通用しない、オリジナルなものがあふれている」とも言っていました。

☆おまけ☆

青木定治氏のアトリエにはドゥカティーというバイクが置いてありました。

「1199PANICARE」

文字がじっくり映されていたので、見る人が見ればわかる情報かも知れないので書いておきます。他に所有する車は、1970年のフィアットとアシュトンマーチンとのことでした。

次回は放送作家の小山薫堂さん。パリです!

お店情報はこちら → 小山薫堂が師匠と行ったニューヨークのレストラン。

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昨年これを見てすっかり感化された私は、放送後「今年のバレンタインのチョコレートはこれにしよう!!」と張り切って買いに行ったのですが、一足遅かったのでもう売り切れでした。

お近くに青木さんのお店がない方は、お早目の購入をお勧めします!!

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