アナザースカイ|野村忠宏は『語学留学』でサンフランシスコへ行っていた!?  2016年2月19日

このブログでは、アナザースカイで放送されたのゲストのエピソード、心に残った言葉などをまとめています。普段は見ることのないゲストの顔や、語られた想い・・いつでも振り返ることができるよう、ここに書き留めておきます。

アナザースカイ サンフランシスコ

2月19日放送のアナザースカイは、柔道家の野村忠宏さん。サンフランシスコです!

野村忠宏さんといえば、オリンピックで3連覇を達成した柔道家。

40歳まで現役を貫いたことでも有名です。

今日はいったいどんなエピソードを聞くことができるのでしょうか?

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 野村忠宏の負けず嫌いエピソード

負けず嫌いエピソードその1~とにかく投げられたくない!~

野村忠宏さんは、親子3代続く柔道家の家庭に育ちました。

幼少期から柔道に親しんでいましたが、決して最初から強かったわけではなかったそうです。

だから、よく投げられる。

「投げられてもいいから、飛び込んでいけ!」

という教えを受けていたそうですが・・

「弱かったくせに、投げられるのが大嫌いだったんですね(笑)」

そんな野村さんは、訓練を積む中で

『絶対に1本とる強さ』に加えて

『絶対に1本取られない受けの強さ』を確立していったそうです。

負けず嫌いエピソードその2~背負い投げ?別に使わなくても勝てるし。~

「背負い投げ」を得意としていた野村さん。

1回目のオリンピックでは、すべて背負い投げで勝利を納めました。

そんな野村さんに、ある記者がちょっと意地悪な質問をしたそうです。

「 野村さんて、背負い投げ以外で勝つのは難しいんじゃないですか?」

そして向かえた2度目のオリンピック。

そこでの彼が見せたのは・・

得意の背負い投げに始まり、肩車・大里刈り・隅落とし!!

次々と違う技で1本を勝ち取ったという、ちょっとドヤ顔エピソードでした(笑)

なのに、試合後全然注目されなかったという野村さん。

その原因は、これだけの見せ場を作ったにも関わらず

世間の注目がぜ~んぶ「柔ちゃん」に持ってかれちゃったからです。

スポーツ新聞の1面には大きく

『 田村 銀 負けた 』

の見出しとともに柔ちゃんの写真が。

その隅っこに小さく「野村やった金」。しかも文字だけで写真はナシ。

そして次のオリンピックでは、

柔ちゃんの金メダルがかかった試合の横で、野村氏も決勝戦。

柔ちゃんの勝利で試合が終わり、会場が祝福ムードに包まれる中・・・

野村さんの試合は10秒1本勝ちでおわり、そのことに誰も気付いてさえいなかったそうです(笑)

以上、マンガでもそこまで面白くできないよ!っていうくらいの完璧なオチを決めてくれた、野村さんの負けず嫌いエピソードでした(笑)

 野村忠宏物語 サンフランシスコで「私、ふつうの人になります!」

野村忠宏は、シドニー・アトランタ五輪で連続金メダルを飾った後、妻とともにサンフランシスコへ渡っていた。

当時周囲からは、「引退するのか」「現役を続けるのか」という質問を突き付けられていた。

迷うことは許されなかった。

日本にいたら、答えを出さざるをえない。

そんな状況から抜け出すため、海外へ渡ることを決意したのである。

「金メダル獲得して、2連覇もして、まさに自分の理想の辞め時だったんです。

 でも、いざ辞めるってなったら・・・

 それが本当に自分の気持ちなのかなっていうのが、見えなくなったんです。」

一旦柔道を身近に感じない環境に身を置きたいと思った野村は、

『26歳の語学留学生』としてサンフランシスコ州立大学へ通うことに。

「柔道もういいやって思ったら、アメリカで生活することも考えていた。」

そんな野村が1年間で学ぶのは、大学へ入るための本格的な語学。

街の英会話スクールのようなミーハーな雰囲気はなく、学校の同期も″柔道の金メダリスト″という野村の存在を知ってる者はほとんどいなかったという。

少数の彼を知る者には自身の置きたい環境のことを説明し、「言わないで」とお願いした。

そんなお忍び生活。

「普通の人」としての日々。

野村は当時を振り返って、「だから楽しかった。」と語っている。

「 柔道に関係ないクラスメイトができて

 自分のことを知らないティーチャーたちがいて

 それまでの自分の枠の外の人たちとの時間を持つことができたんです。」

そんな訳で野村忠宏は、「柔道家」としてではなく「26歳の留学生」として学生生活を送っていたのである。

当時住んでいたのは「ストーンズタウン・アパートメント」という学生寮。

結婚したばかりの妻との、新婚生活でもあった。

しかし、二人きりの時間を割いては、食うに困った学生を呼んで一緒に食事することもしょっちゅうだったという。

「 ほんとに、全てから解放された毎日だったですね。」

サンフランシスコですっかり留学生活を満喫していた野村忠宏。

しかし彼は、当初1年間の留学期間を予定していたにも関わらず、10か月で日本へ帰国することになったのである。

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 3度目のオリンピック

野村忠宏は、2度のオリンピックで金メダルに輝いた柔道から離れ、サンフランシスコで「ふつうの人」として学生生活を送っていた。

当初決めていた留学期間は1年間。

その後は柔道を引退して、アメリカで生活することも視野に入れていた。

そんな野村が、どうして3度目のオリンピックに出場することになったのだろうか?

それは、野村が留学していたサンフランシスコで出会ったある道場での出来事がきっかけとなる。

野村は留学当初、柔道と全く関わりの無い生活を送ろうと考えていた。

しかし、そんな野村に、サンフランシスコで道場を営む日系アメリカ人から声がかかったのである。

その日系アメリカ人の名前はマツモト・デイビットさん。

娘のマツモトサヤカさんはオリンピック選手で、谷亮子こと柔ちゃんと一戦交えたこともある柔道選手である。

デイビットさんは柔道家。当然野村がメダリストだということも知っている。

その野村に

「来たかったらどうぞ」

とだけ言った。

デイビットさんが振り返る、その頃の野村の印象は・・

「顔が暗かったっていうよりも、キツかったかな。固かったかな。そういうような感じだった。気楽にできるようにした方がいいと思ってね、あんまりプレッシャーかけないようにしようと思っていたんですよ。」

同じ柔道家としての気遣いからの一言だったのである。

そんな野村忠宏が、今回14年ぶりに道場を訪れ、マツモトデイビットさんと再会を果たした。

デイビットさんは言う、

「当時はガードが固かったね。こういう豊かな表情の野村君っていうのは、僕は見て非常に嬉しいですよ。」

デイビットさんが見ていたのは、野村の柔道ではなく、彼の心を映し出す″表情″。

それだけだった。

そんなデイビットさんのもと、固く閉ざされた野村さんの心を溶かしたのは・・・

それは、子供たちと″楽しむ″柔道だったのです!

「 うちの実家でね、うちのじいちゃんがやっていた道場みたいな・・。

 自分が実際子供の時やっていた柔道は、すごい楽しいものだったんですよ。

 強さも求められなかったし、厳しさも求められなかった。」

野村さんは子供たちと笑顔で柔道をするうちに、純粋に柔道を楽しんでいた頃の自分の気持ちに帰ることができたのです。

そして、″柔道への愛″を感じることができたのでした。

 野村忠宏、完全復活!!・・・とはいかなかった。

いったんは柔道を離れたことで、再び柔道への愛を確認することができた野村忠宏さん。

そんな野村さんに、思いがけない感情が生じ始めました。

「 楽しい柔道をしていて、虚しさを感じることがある 」

冒頭からもわかるように、野村忠宏さんはもともと負けず嫌いな性格です。

それは、2度のオリンピックで世界一にのぼりつめるほどの。

本来ならばそんな野村さんが、楽しいだけで満足するはずはありませんよね。

子供たちとの柔道で、本来の柔道への想いに立ち返ることができた柔道家野村忠宏は、次のステージに向かっていました。

「ふつうの人」から「金メダリストとして現役を続行する」というステージへ。

しかし、現役続行を発表するには越えなければならない壁がいくつもありました。

現役続行ということは、必然的に次のオリンピックで金メダルを求められるということにつながります。

ところが、現時点での野村忠宏にはすでに半年以上のブランクがあり、金メダルはおろか日本代表になれる保証すらないのです。

見えないものに立ち向かわなければならない恐怖。

しかし、柔道家・野村忠宏は覚悟を決めました。

現役を続行し、3度目のオリンピックで金メダルをとることを!!

まずは、ブランクを取り戻すために留学中にトレーニングを再開。

さらにその後、留学を2か月切り上げて帰国することを選びました。

留学期間を切り上げてまで帰ってきた日本。

そこには甘くない現実が野村さんを待ち構えていました。

 投げられる姿・負ける姿を見せたくない!!

そのプレッシャーゆえに相手に負け続けるという、散々な日々を送ることになります。

周囲からも「 野村は終わった 」という声が聞こえてきます。

そんな屈辱だらけの選手生活に、

「 サンフランシスコで出した答えは間違いだった。」

と後悔することもあったそうです。

しかし、負けず嫌いの根性を発揮した結果・・

アテネオリンピックでみごと金メダル獲得!!

前人未踏のオリンピック3連覇を達成しました!!!

さすがわれらのミスター負けず嫌いです!!!

 現役を続けた理由

そして、野村選手は三連覇の栄誉を得てなお、現役の舞台に立ち続けました。

32歳で右ひじの人体を断絶。足の小指も変形し、ちょっとしたことで脱臼してしまうほど身体はボロボロになっていました。

そして試合に出れば出るほど、過去の栄光の記憶は色褪せていきます。

「 あの最強も地に落ちた。」

そんな声も耳に入ってきます。

それでも彼が現役にこだわり続けた理由とは、一体何なのでしょうか?

「 昔は、ベテランでずっとやってる人らをカッコ悪いと思ってた。

俺はああはなりたくない。

カッコいい時にみんなに惜しまれながら

もうちょっと野村の柔道見たいな・・くらいの感じで辞めるのがカッコいいと思っていた。」

そんなカッコいい幕の閉じ方もあったのに、野村さんはどうしてそこまでやるのでしょうか?

それは正に、柔道への愛

「 30になっても、40になっても 今できる最高の柔道をやろう。」

そして、40歳で引退を表明。

現役最後の試合はなんと「1本負け」。

しかしその最後の瞬間、彼はとってもすがすがしい顔をしていました。

そこには、柔の道を行く男の生き様が、やりきった男の姿がありました。

そこまでやりきる決断をあたえてくれた場所

あらゆるしがらみを解き放ち、純粋に柔道に向かい合う機会を与えてくれた場所・・・

それが今回のアナザースカイ、サンフランシスコだったのです。

最後に、野村忠宏にとってのサンフランシスコとは・・・

柔道を忘れたいと思って行ったにも関わらず、柔道への背中を押してくれた場所 

だそうです!

番組内で野村忠宏さんは、こんなこともお話していました。

彼の握力は、右手が42~3キロ。左で40キロあるかないかだそうです。

成人男性(25~29歳)の握力は、平均47.26キロ。

一般男性よりも、握力は少ないんです!

「 力だけじゃない面白さが、柔道にはあるんですよ!」

と、目をキラキラさせて語っていました。

先の東京オリンピックに向けて、彼のこれからがとっても気になります!

次回は、田中麗奈さん。台湾です!

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